2003-07-09 第156回国会 参議院 憲法調査会 第8号
軍備を持つには憲法を改正しなければならないという改憲派、それから社会党左派に代表されるような非武装派、そして憲法に反しない範囲で小規模な軍備を持ち、それを徐々に増強していくという立場、吉田はこの三番目の立場になるわけですが、結局この三つの立場が解消しないままに、保守合同で自民党が生まれ、左右統一の社会党が生まれて、いわゆる五五年体制が誕生したわけです。
軍備を持つには憲法を改正しなければならないという改憲派、それから社会党左派に代表されるような非武装派、そして憲法に反しない範囲で小規模な軍備を持ち、それを徐々に増強していくという立場、吉田はこの三番目の立場になるわけですが、結局この三つの立場が解消しないままに、保守合同で自民党が生まれ、左右統一の社会党が生まれて、いわゆる五五年体制が誕生したわけです。
ですから、立候補者の数をずっと見てみるとよくわかることだと思うのですけれども、余り古い話をしても始まりませんが、保守合同とか社会党の左右統一後、最初に行われた選挙がたしか昭和三十三年でありますね。
しかし残念ながら、左右統一をいたしまして、三十年以降、あのとき百六十六名当選したわけてありますが、それ以降は総定数に対しまして五〇%以下の候補者ということになってしまって、これがいわば自民党さんの方は候補者をとにかく金の裏づけがあるにしろたくさん立てて、それで政権を維持している。私たちの方はどうしても共倒れということが起こって、次の選挙は一人に絞ってとにかく議席を回復しようということでやってきた。
昨年十月、日比谷公会堂で行われた社会党左右統一大会の席上吐きけを催して床につかれ、両社県連統一のすみやかならんことの希望を遺言として世を去られるまで、病床にありてなお常に国を憂え、党を思われ、逝去の数時間前、呼吸困難、脈博微弱となっても新聞の政治面に目を通されたというあなたは、まさにわれら政治に携わる者のかがみと申さねばなりません。